かりのやど

仮の宿です

元農林水産省事務次官熊沢英昭による熊沢英一郎殺人事件傍聴記録

令和元年5月28日。今から3年前、川崎市内でスクールバスが襲われ、多数の死者が出た事件がありました。(以下川崎殺傷事件)それから4日後、令和元年6月1日、元農林水産省事務次官熊澤英昭氏の長男である熊澤英一郎氏(以下英一郎)が自宅で父親である熊澤英昭氏による殺害される事件がありました。

なお英一郎は昭和50年生まれ。もし存命ならば47歳でした。

令和3年2月2日。自分は東京高裁にいました。とある調べ物をするためです。社会的に認知度が高く、傍聴希望者が多くなると予想される事件についてはコンピュータによる抽選を行います。

抽選になるのは例えばオウムの事件ですとか、有名人の覚せい剤・麻薬所持・使用、政治家の贈賄事件などです。

 

その東京高裁に抽選の張り紙がありました。

事件番号 令和2年(う)第201号 東京高裁第11刑事部 刑事102号法廷

事件名:殺人 被告 熊澤英昭

知っている。せっかくなので抽選に参加し、当選し、傍聴しました。

傍聴券 東京高裁の敷地外で撮影しています

東京高裁の入り口にはまるで空港の搭乗口のような金属探知機もあり、凶器や刃物は持ち込めません。ドライバーのような工具・ズボンのベルトでも検査に引っ掛かります。

そしてさらに東京高裁102号法廷の前に並ぶのですが、荷物持ち込み不可。携帯電話も不可。持ち込めたのはノートとボールペンだけ。さらに輪っかの金属探知機で全身チェックです。

ほぼ上記画像の通りです。

傍聴席と原告・被告の間にはしっかりとした警備の方が4人。

午後2時判決

主文

控訴を棄却する

もう一度言います

控訴を棄却する

ここで記者席から何人かが出ていった。これは速報を打つためのものでしょう。

棄却の理由というのが、

1.包丁を持って英一郎にところに戻る理由がないから。

2.英一郎に抵抗手段がなかった。

この2つが大きな理由です。

川崎の殺傷事件との関連性は認められない。

原判決は英一郎の抵抗前に殺傷行為を行ったものであり、適切である。

インターネット検索で川崎殺傷事件との関連を調べていた。英一郎が第三者の殺害を懸念しており、英一郎の殺害は前提であったとされる。

英一郎の経緯として、中学生以降熊澤英昭の妻に暴行。統合失調症アスペルガー症候群と診断され、毎月1回通院していた(私見:いくら被害者死亡でももうちょっとこのような医療情報を判決で読み上げるのはいかがかと思います。)

令和元年5月25日から同居し、26日に熊澤英昭は英一郎から暴行を受け負傷していた。

熊沢英昭は読経もしており、自主もしたが、懲役2~12年が相当であり、原判決の懲役6年は妥当である。

正当防衛についても、相手から殺すぞと言われたからといえど、成り立たない。よって控訴は棄却された。

Wikipediaによると上告はせず、懲役6年は確定。熊澤英昭氏は収監されたそうです。

ja.wikipedia.org

この傍聴に立ち会えたのは何かの縁だったかもしれません。その後自分が本当はどうなったかというのは、いずれ話せる機会があればいいなとは思っております。